新宿区庾嶺坂(ゆれいざか)

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「庾嶺坂」2016/2/2撮影

神楽坂下から市ヶ谷方面に外堀通りを250mのところにある庾嶺坂にやってきた。

多すぎる別名

庾嶺坂には別名が多いです。
若宮坂、幽霊坂、行人坂、ゆう玄坂、祐念坂、唯念坂、新坂など。
もっとあるかも知れません。。

坂に設置されている標識にはこのように書かれています。

江戸初期この坂あたりに多くの梅の木があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あるという(『御府内備考』)。
別名「行人坂」「唯念坂」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。

中国の梅の名所?どこでしょう?
調べてみたら、「大庾嶺」という山で、中国の江西省と広東省の境にあり、梅の名所だそうです。もし、将軍である秀忠公が坂名を付けたのなら、別名がこんなにあるのはおかしな話です。

古地図を見てみる

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嘉永2ー文久2 (1849-1862)市ヶ谷牛込絵図より

赤く囲った場所が「若宮八幡神社」です。
矢印が指す場所が庾嶺坂なのですが、江戸後期の絵図では階段があり、「シンサカ」となっています。
ということは、シンサカが元々あった名称なのでしょうか。
シンサカだと、多過ぎて他の坂との区別がつかなくなって、別名が増えてしまったのかもしれません。

シンサカ=新坂とすると新しく開いた坂と想像できます。
隣にある逢坂よりは傾斜は緩やかなので、もしかすると逢坂と同じく神楽坂上に物資を運ぶために新しく開いたのでしょうか。

神楽坂若宮八幡神社とは

神楽坂若宮八幡神社のご由緒は、源頼朝が文治5年(1189)奥州藤原征伐の際に当地で宿願、奥州平定後に鎌倉の鶴岡八幡宮を移して仁徳天皇を鎮座したのを創始とするといいます。
その後、神楽坂若宮八幡神社は衰退してしまうが、文明年間(1469-1487)には太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を江戸城に相対させた形で再興させたといいます。

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神楽坂若宮八幡神社-撮影2016/4/25

鎌倉時代からこちらに鎮座していたとなると、坂が出来るずっと以前の話です。

別名である「若宮坂」がしっくりくる気がしますが、頼朝公が奥州に向かう際には旧鎌倉街道中道を通ったはずです。一番近い中道は西へ直線で2.5kmくらいの所を通っていると思われるので、わざわざ寄り道でもしたのでしょうか?
もしかしたら、神楽坂若宮八幡神社はどこか他の場所から当地に移ってきたのかもしれませんね。

最後に明治の地図では

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なんと「祐源坂」と記されています。
源氏縁の若宮八幡神社へ続く坂ということですね。
妄想が膨らんでいきますが、この名前が一番スマートでキレイかと思いました。

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