旧鎌倉街道中道を歩く その1

旧鎌倉街道中道を歩く その1
鶴岡八幡宮〜国道一号線(柏尾)

2016年3月13日
この日、旧鎌倉街道中道を歩いてみた。

古道としての鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている。

現在、鎌倉街道中道(なかつみち)と呼ばれているのは、鎌倉から武蔵国東部を経て下野国に至る古道で、『吾妻鏡』にある中路である。nakatsumichi00
鶴岡八幡宮

旧鎌倉街道中道を歩く その1 歩行ルート

鶴岡八幡宮→巨福呂坂入口→巨福呂坂洞門→第三鎌倉道踏切→浄智寺→東慶寺→北鎌倉駅前→十王堂橋→水堰橋→観音道標→第一鎌倉道踏切→成福寺→離山富士見地蔵→青木神社→笠間庚申塔→今泉村不動道標→笠間交差点→新橋→道標・延命地蔵→稲荷社→本郷台地区→見晴橋(環状3号道路)→すりこばち坂→舞岡南の橋→庚申塔道標→舞岡公園→日限地蔵尊(福徳院)→下永谷市民の森→国道一号線(柏尾)

鶴岡八幡宮〜水堰橋

鶴岡八幡宮の西の階段の下、今は車のお払いをするところから左に入る小路があり、ここを西に曲がるのが旧道の入口である。それをまっすぐ行くと横須賀水道トンネル、正式には「巨福呂坂送水管路ずい道」の出口があり、その右の急坂を登ると左側に「青梅聖天社」があり、そのためこの坂は聖天坂とも言われる。その少し先にはここがかつては鎌倉から遠方への道であったことを物語る庚申塔や道祖神があり、現在ではこれが唯一の古道の証明となっている。その少し先から私有地となっているため通行不可となっているが、仮に通れたとしても先はすぐに断崖絶壁となる。

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左が「巨福呂坂送水管路ずい道」、右側の坂を上っていく。

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「青梅聖天社」 いい感じの階段。

バス通りまで戻り、左折する。しばらく坂を上っていくと巨福呂坂洞門(新道)がある。落石防護施設として吹き抜けのトンネルのようになっている。昔は今よりも5メートル程上に道があったらしい。
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「巨福呂坂洞門」

「建長寺」を過ぎると、左手に「亀ケ谷切り通し」がある。そこからしばらく進むとJR横須賀線の踏切がある。踏切を渡るとすぐ左に「浄智寺」、駆け込み寺で有名な「東慶寺」がある。そしてまもなく右手に「円覚寺」の参道が見えてくる。

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円覚寺参道を横切るJR横須賀線

右側に北鎌倉駅を過ぎて、鎌倉十橋である「十王堂橋」を渡る、小坂郵便局を過ぎて400mほど歩くと「小袋谷」の交差点だ。
さらに100mほど先にある二股に分かれるところが水堰橋(すいせきばし)です。
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水堰橋

ここは上道と中道との分岐点であったとされ、直進すると上道へ、中道は右へ入って行く。
電柱の下に観音道標がある。
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享保12年(1727)「右とつか 左藤さわ」と刻むというが判別出来ず。。

水堰橋〜新橋(いたち川)

中道に入り、JR横須賀線踏切を渡る。

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成福寺山門

成福寺を過ぎて直進する、「県道301」を横断し、さらに100m程進むとバス通りに出る。
正面に「離山富士見地蔵」があり、そこに「旧鎌倉街道中道」の表示がある。
以前、この地には地蔵山・長山・腰山という3つの山があったが切り崩され、昭和58年に地蔵山の地蔵様はここへ移された。
動興は「廻国雑記」の中で、離山をこう詠んでいる。

はなれ山といへる山あり。誠に続きなる尾上もみえ侍らねば、朝まだき旅立つ里のをち方に、其の名もしるきはなれ山かな

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「離山富士見地蔵尊」
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地蔵堂の左の道を進む、大船郵便局裏で道は突当たるので右折し、砂押川に沿って行く。
信号を渡り左折する。
しばらく歩くと右手に笠間の鎮守「青木神社」の急な石段が見えたので、上って参拝をした。

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「青木神社」の石段

中道に戻って進むと左手に庚申塔と地蔵座像がある。
説明板によると、この庚申塔は、笠間村の出入口に位置し、魔除け、厄除けとして祀られたものだそうです。
nakatsumichi11左から地蔵座像(年代不詳)、庚申塔-延宝8年(1680)、正徳4年(1714)、文政6年(1823)、万延1年(1860)のものが並ぶ。

しばらく進むと、右手に「今泉村不動像」がある。今泉4丁目の今泉不動への道標。道の角にあり、進行方向からだと見えなく、一度通り過ぎてしまった。
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「今泉村不動像」宝永7年(1710)

「笠間交差点」を歩道橋で渡り、「いたち川」に架かる新橋(にいばし)を渡る。
橋の表示板には動物の「いたち」が描かれているが、鎌倉武士が出陣するときの「出立川」(いでたちがわ)が訛ったものという。
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「新橋」渡りきって笠間交差点方面を向いて撮影。

橋を渡ると、道標と延命地蔵の小祠がある。

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道標、元禄4年(1691)

道標には「従是とつ加道」・「従是ぐミやうじ道」と彫られている。
北へ直進し、戸塚へ向かう広い道は、江戸時代に拡幅整備された道。
「中道」は北東に分かれる細い「ぐミやうじ道」で横断歩道の所を右折していく。

新橋〜舞岡公園

西本郷小学校を過ぎると稲荷社がある

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馬頭観音・地蔵・庚申塔が並ぶ。

この先でJR根岸線のガードを潜ると道が二股に分かれるので左斜めに進む。
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細い道を進むと本郷台の住宅地に出る、本郷台小学校を右手に道なりに進んで行く。
しばらく進むと小菅ヶ谷小学校に突き当たるので、左折し、直ぐに右折する。

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小菅ヶ谷小学校(右)に沿って上る。

坂を上りきると行き止まりで、右手の見晴橋へ迂回する。

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下は環状3号、旧道はここを下って、向う側へ上り返していたのだろう。
こういった形状から「すりこばち(摺小鉢)坂」というらしい。

見晴橋を渡り、自治会館の裏から摺小鉢坂を上る。

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この道は戸塚区(左)と栄区の境界で、この境界線が鎌倉街道の旧道だそうです。
しばらく細い道を進むと、高台の住宅地に出る。高台のため、いい眺めである。

舞岡南の橋を渡る。

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橋を渡りきった所から撮影。

渡った先の左側に庚申塔が移設されている。

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庚申塔、元文2年(1737)

右側面に「これよりぐめうじミち」、左側面に「これよりかまくらミち」と彫られる。
道路建設によりこの辺りの地形は大きく変わってしまったというが、古いものを残してくれたことはありがたい。

舞岡公園へ入る、ここで一度休憩することにした。

舞岡公園〜国道一号線(柏尾)

舞岡公園を過ぎると、住宅地だ。
ここは道を付け替えてしまっているので、旧道の面影は全くない。
仕方ないので、バス通りを進み「港南プラザ前」交差点を左折する。

軽い下りから緩い上りの先に小高い森が左手に見えてくる。
日を限ってお参りを続けるとご利益があるといわれる日限地蔵尊だ。

少し戻り、マンションの脇から日限地蔵尊の裏へ。坂を上る。
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右側が日限地蔵の敷地

この先で道は途切れてしまうので、電柱脇の路地を下っていく。

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路地の左には小山があり、軽い階段と坂を下る。

バス通りに出たら左折し、下永谷駅入口を右折し、またすぐ左折して老人ホームの脇の坂道を上がる。ここで信号で消えた旧道へ戻る。
突き当たりを右に進んで行くと、怪しげな雰囲気が続く。

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通って良いのか迷うも前進する。

やがて車の通れるくらいの道になる。さらに進んで「横浜西港南台郵便局」を過ぎ、県道22号線を横切る。道也に進むと下永谷市民の森入口に着く。

公園の中には古道、中道が散歩道として残っている。
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一般道へ出たら左へ下り、道也に進む。柏尾郵便局の先が国道1号だ。

「旧鎌倉街道中道1 鶴岡八幡宮〜国道一号線(柏尾)」はここで終了です。
国道一号線からは下りは戸塚駅、上りは東戸塚、横浜方面のバスが出ている。

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