五日市街道を歩く その4

「五日市街道を歩く その3」の続き。

2016年3月29日「拝島駅」から「武蔵五日市駅」を歩いた。

五日市街道を歩く その4 歩行ルート

「拝島駅→水喰土公園→五丁橋→横田基地第5ゲート(旧道再開)→地蔵坂→牛浜橋→大坂→多摩川中央公園→多摩橋→多西橋→突抜坂→二宮宿→玉泉寺→二宮神社→秋留台公園→大塚古墳→真照寺→天満宮→伊奈宿→宮沢坂→岩走神社→秋川渓谷→大悲願寺→五輪坂→三内橋→正光寺→武蔵五日市駅(街道終点)」
寄り道を含めて約18.4kmを歩いた。

拝島駅〜横田基地第5ゲート

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春の陽気に恵まれて、「五日市街道を歩く」を完結します。

先ず、拝島駅から日光橋へ向かい、そこから玉川上水に沿って水喰土公園に寄り道して第五ゲートに向かいます。
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玉川上水沿いの遊歩道が続く。

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JR八高線のガード潜る。その先が水喰土公園だ。

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玉川上水の開削の際、この付近で水が地中に吸い込まれ失敗したという故事から地名が発生したのだそうです。

公園を後にし「五丁橋」を渡り、JR八高線のガードを潜る。その先で国道16号を左折し、400m先が横田基地第五ゲートです。
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五丁橋から玉川上水の下流方面

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JR八高線のガード下

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横田基地第五ゲート

ここから旧五日市街道が再開する。

横田基地第5ゲート〜多摩橋

国道16号を左折して旧道を進むと、再度JR八高線の踏切を越える。
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JR八高線の線路、東福生方面

福生市民会館を過ぎ、JR青梅線の踏切を越える。
新奥多摩街道を過ぎたら、「牛浜橋」がある。
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「牛浜橋」下を流れるのは玉川上水。

牛浜橋を渡ると「大坂」という坂がある、この坂を下ると多摩川中央公園に突当たる。
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「大坂」より、「あきるの市」方面

多摩川中央公園には「うしはまの渡し碑」と「石濱渡津跡碑」がある。
昔は多摩川を船で渡っていた。
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中央にあるのが「うしはまの渡し碑」、大正14年に多摩橋ができて廃しされたことの記念碑。
左奥が「石濱渡津跡碑」正平7年(1352)、足利尊氏と新田義興・義宗の激戦があったと謂れている。

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多摩川中央公園の空にヒコーキ雲

現在は橋で多摩川を渡る。前方に見える「多摩橋」へ向かう。
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多摩橋から牛浜の渡し(であろう)方面を撮影してみました。

多摩橋〜伊奈宿

多摩橋を渡ると「あきる野市」に入る。
少し先にある「平沢」交差点を左斜めに進む。
街道は平井川の土手の急坂、「突抜坂」を上って二宮宿へ入った。

この坂、車の往来が激しい上にカーブしてる。
また、歩道が無いに等しいので危険で、最大の難所でした。

坂上付近の左手に馬頭観音があり、道を挟んだ向かいにはお地蔵様がいらっしゃいます。

進んで行くと「二宮本宿」交差点に出る。二宮宿は五日市街道の宿場で、本宿と北宿に分れていたそう。

「二宮本宿」交差点から300m進むと、「二宮神社前」交差点がある。
そこを右に細い道を曲がると「玉泉寺」があります。

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玉泉寺
天台宗延暦寺派の寺。寛永18年(1641)上野寛永寺派衆徒吉祥院が開基、霊山院亮海法子全海が中興したといい、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。境内の醤油の大樽の中には「大樽平和観音」が祀られています。

「二宮神社前」交差点に戻り、信号を渡って宿名の由来となった「二宮神社」に向かいます。

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二宮神社
二宮神社の創建年代等は不詳ながら、武蔵総社六社宮(現大国魂神社)所祭神座の第二次にあるがため、その地名も二宮と称した。明治三年二宮神社と改称した。
天正19年(1591)徳川家康より御朱印十五石を受け、以後代々継承されてきた。

「二宮神社前」交差点に戻り、左折する。秋留台地が開けて両側に畑が広がる。
1.2km進むと右手に「秋留台公園」があるので、ここで休憩。

「あきる野市役所前」交差点にあるコンビニの裏辺りに「大塚古墳」があるので寄ってみる。
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登ってみた。お社と石碑がある。昭和57年に行なわれた測量調査によって、一辺33m、高さ8mの規模を持つことが判明したそうです。

「大塚古墳」から500m進むと左手は「秋川駅」だ。
さらに300m先のJR五日市線の踏切を越えて進んで行く。

淵上バス停の先「西中学校入口」交差点を右斜めに旧道を進む。
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少し坂になっている道が旧道です。400m程で新道に戻る。

300m進むと「原店」交差点だ。ここで寄り道、左折して「真照寺」に寄ってみた。

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真照寺
真照寺は真言宗豊山派の寺院。
寛平3(891)年、僧義寛上人によって創建されたと伝えられている。本尊は不動明王である。享禄4(1531)年に現在の地に遷された。都指定有形文化財の薬師堂と、市指定有形文化財の山門がある。朱印寺領7石。

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裏の高台から有名な「六枚屏風岩」が見えた。

新道に戻って左折する。
先ほどの「原店」交差点を過ぎ、500m程進むと左手に「天神社」があるので寄ってみる。itukaichi74
天神社
社伝によれば貞治・応安(1362~75)のころ、足利基氏の母瑞雲尼の創立で、社号は古くは天満宮と称し村内能満寺持ちの常照寺が別当であったが、明治の神仏分離令により天神社と改めた。祭神は菅原道真公。山田下分鎮守。

新道に戻り、左折する。
天神社から700m程先の「山田」交差点の手前を右斜めに進むのが旧道です。

旧道を70m程進むと左手に道標があった。
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道標には五日市、八王子などが読める。

すぐ先には都道185号線と交差する。
この都道185号線、北は上州へと続く古道であったという。

道を渡り「伊奈宿」のあった方へ進む。
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旧道らしい道幅とくねった道が続く。

しばらく進み、図書館の手前で左に曲がり、階段を下りて新道に合流します。
この辺りが「伊奈宿」があった場所と言われている。

「伊奈宿」は、五日市のすぐ東側に位置した宿場町で、近くの山には「伊奈石」という石材があり、なかでも伊奈の石臼「伊奈臼」は軽くて挽きやすいと評判だったということです。天正18年(1590)江戸城修築の土木工事に伊奈の石工たちが徴用され、この石工たちが頻繁に江戸へと行き来した道筋が、自然に「伊奈みち」と呼ばれるようになり、これが五日市街道の始まりとされています。

伊奈宿〜武蔵五日市

新道を右折して350m進むと「新秋川橋東」交差点。
そこを右に曲がると旧道の「宮沢坂」の下りとなる。

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50m程進んだ右手に、道から隠れるように馬頭観音と大きな石碑がありました。

その先に「正一位岩走神社」があります。
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岩走神社
仁平2年(1152)信州伊奈から移り住んだ人々が戸隠大明神を勧請したと伝える。社号の「岩走」は、秋川の激しく流れ落ちる滝の様子からとったものです。 寛政6年(1794)には正一位の神階をうけるなど、旧伊奈村の鎮守として信仰を集めてきました。

岩走神社を出ると下る道があるので、下って川沿いの道を行く。
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右手が岩走神社、そちらから下り、旧道に入っていく。

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左は秋川渓谷

旧道を200mくらい進むと「秋川渓谷 瀬音みち」という看板がある。
旧道を離れて、そこを右に進んで「大悲願寺」に向かう。
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大悲願寺に向かう石段。
ここを駆け上がって五日市線の踏切を越えると大悲願寺だ。

大悲願寺は源平合戦の頃の武将平山季重が源頼朝公の命で
京都は醍醐寺のお坊さんを招き建久二年(1191)に創建した古刹です。
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仁王門は安政6年(1859)に再建。

仁王門を出たら右へ進みます、JR五日市線の踏切を越えると「五輪坂」だ。
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坂下方向。割と急坂で良い感じ。

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坂の途中に馬頭観音と五輪塔かな?

坂を下りきった道の向かいに庚申塔、馬頭観音、お地蔵様。
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ゴールまであと少し。

新道手前で「三内橋」を渡り、「五日市橋」交差点の信号を渡る。
渡ると正面に「正光寺」がある。ここを右に曲がる。

500m程で新道に合流する。

左折して、直進。250mで「武蔵五日市駅」

JR武蔵五日市駅前を左折して五日市宿内を通る道は檜原街道。
よって、駅前で「五日市街道歩き」のゴールとしました。
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五日市街道おわり。

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